日常の景色が変わろうとしている。
そんな8月でした。
9月になる前に死ぬんじゃないかってけっこう本気で思ってました。
なので、がんがんに断捨離しとりました。
断捨離は生き残れたら思いっきり生きようとそんな気持ちにもなるので、ちょいちょいやります。



8月は介護の話が多かったです。

親はこういう人でした。
私はこういう子供でした。
などなど。
介護は長引いてくると、ストローでちゅーっとエネルギーを吸われている様な気がする。
吸われながらも、介護する側にも与えられているものがある事に気付く瞬間が訪れ、生きている私たちに思いっきり自分の人生を生きるためのメッセージ性が隠れているように思います。

また、自分の心が育てられたその環境を今一度振り返る作業が人間関係のあり方の基礎になっている両親というものを逆説的に見つめるという作業をも持ち合わせていて、なかなか奥深い世界に思います。


誰もが、どこかで心を置き去りにして、痛みを隠し持って生きている。
光合成は植物が選んだ生き方。
なら、人間は複雑な生き方を選んだのか。
とも、思ったりもします。

複雑なものは単純化にはそうそうはならないけれど、肯定し合える関係性を公私ともに構築していく。
尊厳を持ち、ありがとうを重ねる。
9月を目前にして、そんな歩き方をしていきたいと切に願います。


あきらめるのと受入れるのは違うように。
ありがとうを積み重ね、感謝の心根を大切にするために最低限必要なこと。
まずは自身を尊重する生き方をしていく所存でございます。

では9月から。
どうぞ改めまして、よろしくお願いいたします。